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赤いソファを知ってるか 青いソファを知ってるか

自分も「無敵の人」になるかもしれない怖さ

※この記事はただの自分語りであり、考えるきっかけになった事件そのものについては特に言及しません

 

昨今ネットを騒がせている痛ましい事件。これについて色々思いはあるけど、現時点で犯人像として浮かび上がる通称「無敵の人」。

 

自分もひとつ間違えば無敵側に行っていたかもしれないと常々よく思っていて、ぼくもいわゆるロスジェネ世代に属するのでヒヤッとするのだ。

 

「今」を否定する意味ではなく、ぼくは度々人生における別シナリオへの分岐点と、その後のストーリーのifを想像する。想像の世界は自由だ。もし別の大学に行っていたら、もしずっと独身だったら、もし別の人と結婚していたら、もし子供が生まれなかったら……そういうパラレルの自分の人生を想像する。そっち側に渡る手段があっても多分行かないけど。

 

そんな中で、自分の人生にとっての大きな分岐イベントのひとつが「就職」だった。ぼくは大学卒業が2002年のロスジェネ世代、まさに当時は氷河期まっただ中だ。ただそういう状況以前に自分の脳内が永遠の大学生のような感覚、氷河というより『春~spring~』状態だったので、そもそも就活を一切せずに大学を卒業した。なんとかなるっしょ、という感覚と、ずっと続けていたバイトでも食えるし、なんなら評価は高いので最悪正社員として雇ってもらえるという甘い考え、それから以前に書いたように何もしてないけど何者かになるかもしれないという無根拠な自信、そういうものが合わさっていた。

 

大学卒業後はそのままバイトのシフトを増やすのみで東京で暮らし続けていたが、真面目に考えたらこの給与では死ぬことはないが何もできない生殺しの状態なのでは、と思った。
更に決定的だったのは、ある日新規の歯医者にかかってカルテを書いたときの「職業」を書く欄になんと書けば良いか迷い、そこで初めて「あれ、おれはヤバいのでは」と思ったのだ。勿論就職すれば万事解決というわけではないし、就職が全てでは無い。ただ、自分が何も為していなさすぎることに気付いたのだった。

 

それから真剣に就活について勉強したところ、ぼくは「新卒」という最強のカードをみすみす放棄していたということに気付いた。そして既卒あるいは第二新卒という扱いの就職を探すが、殆ど見つからなかった。
新卒以外の就職枠は経験者採用ばかり、経験しようにも未経験を受け入れるところゼロという、「レベルを上げ損ねたまま後戻りできないボス前でセーブして詰んだRPG」状態になってしまった。今思えば22、3くらいの年齢で実際そんなことは全然ないし、どうとでもなりすぎるのだが、当時はそう思えてしまった。


一社だけ既卒を採用する会社を見つけて集団面接を受けたが、揃いも揃ってダメそうな人間たち(そもそも何を喋ってるのかよくわからん中年、凄いバンド活動をしてきた自慢をなぜかその就職の面接の場でするバンドマン、真面目だけが取り柄だけどいかにも使えなそうな小僧、そしてぼく、みたいな感じ)で揃ってアウアウ言っていただけで終わった。就活の面接などもやったことがないのでセオリーも知らなかった。今ならわかるがあの会社は体力があってイキの良い人間を優先して採りそうなので、あの集団全員落ちたと思う。


そして大体こういう詰みかけ(実際は全然詰んでないが、心境的に、ね)の人間が次に考えるのは「資格ゲット」だ。どんな資格が簡単かつ就職に良いか、ということを調べた結果、大学院に進学するのがベストと判断した。つまりもう一度「新卒」の資格をゲットするのだ。
とはいえ正攻法で受かるような気もしないので、大学時代の恩師(ゼミはサボりまくっていたが、卒論の評価は高かったので名前は覚えてもらっていて卒業後もやりとりがあった)に同じ大学の院にブランクはあるが進みたいという旨を熱心に訴えた。「就職したいから」と言ったら蹴っ飛ばされたかもしれないが、「行きたい」のは本当だ。恩師は是非来ればいい、ということを言ってくれた。


が、その直後恩師は病に倒れ引退、院でゼミを持つことは無くなった。その事実を知ったのは、なんとまさに院試の面接のときだったので、マジで途方に暮れかけたが、そのとき別の教授が「ん~そういうことならうちで預かってもいいけど」的なことを言ってくれ、見事合格できた。筆記試験はかなり悪い成績だったけど…と言われたものの入学できてしまったので「結局世の中世渡りなのかな」と最初に感じた出来事だった。

 

院に入ってからは勉強よりも就活一筋だった。修士は2年で終わりなので、入学した年の夏にはインターンに応募したりし始めた。その年は翌春から公式な採用活動解禁だったので、まず2月くらいからそれを無視して採用を始める外資系や中小を受け始めた。しかしただでさえ就活に弱そうな人物像に加えて学部卒より無駄に年を取って、学歴も大したレベルではないので、結局エントリーは100社近くに及んだものの最終的に6月に1社だけ採用に至った。これが今も勤め続けている会社だ。

 

自分の就職までの紆余曲折を振り返るに、様々「たまたまうまくいったけど、充分失敗するリスクがあった」タイミングがあったと思う。就職が全てではない。今の会社に入っていなくても、より幸せだったかもしれない。それはわからない。だが、自分の性格から考えてどこかでつまずいた場合(というか上記も就職のつまずきからの復帰ルートの模索なのだが)、最悪の闇落ちパターンもあったなと思うのだ。一番ありそうなのが、当時の彼女のヒモになるか実家に帰るかしてライフラインを確保しつつネットで論客気取るというやつで、これをこじらせていき、かつそのバックアップしてくれる人から見放されたらもう無敵将軍である。たらればの話だが、ぼくはそういう状況に陥ってまで自分がまともにいられるか自信が無いし、あるいはそういう生活の中で無敵へのこじらせを醸成していったのではないか、という気がしてならない。


人生何が起こるかわからない。毎日歩く駅や道路で横に2メートルジャンプすればすぐ死が待ってるし、今これを書いている自宅の背後2歩のところにあるベランダを乗り越えればぼくは窪塚洋介のように飛べず、やっぱり死ぬ。人生はマリオの6-3くらいは普通に死ぬポイントが用意されている。そういう風に物理的にもすぐ終わるし、人格的にも人間は案外すぐに変わるものだ。まさか自分が『はじめてのおつかい』を見て泣く人間になるとは無敵への分岐点の当時は1ミリだに想像しなかった。自信を持って「自分はああいう無敵の人にはならない!」とは言い切れない。今の自分を形成できていることは、案外奇跡の積み重ねだったりもするし、どこかで間違えていたらそっちに行っていたかもしれないという恐怖がぼくの中にあるのだ。いや、今はおかげさまで守るもの、守ってくれるもの、良き仲間に囲まれているが、これからだって行かないとも限らない、息子や娘が行かないとも限らないわけで。なので今後も「かもしれない運転」でご安全に。

 

 

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