光景ワレズANNEX

赤いソファを知ってるか 青いソファを知ってるか

ネットで勝手に尊敬する人物がいるか。勝手にそれと決別するときが来るか。

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中学生のときくらいから高校大学を経るくらいまで、自分の無限の可能性を無根拠に信じている者がいるらしい。
私だよ!(これは、にしおかすみこのレトリックをパクったものである)

 

何も努力はしてないが、何かデカいことができる、デカい人間になって有名になる、そういうよくわからない自信が若かりし頃は多かれ少なかれ誰しもどこかにあったと思う。でも誰かにそんなことを言うでもなく、何も具体的な活動もしないから、誰にもそんなこと応援もされないしバカにもされない。たまに実際に言ってしまってバカにされている者も見かけるが、大抵本当にバカなのでバカにされればいい。
おれも楽器を始めたわけでもないし、マンガを描いたわけでもない、何か発表活動らしいこともしていないが、唯一発信を頑張っていたのは写真とネットである。大した努力なしに、何者でもない者が取りあえずの発表活動に繋げられるスナック感覚のクリエイション活動と言われがちな両巨頭である。うるせえ。

 

そういうおれことプライドだけ高いキモオタクであるが、文章というか、以前の記事でも触れたパソコン通信の掲示板時代(高校生の頃)、そこで見かけた面白く知的な文章を書く人に勝手に憧れていた。その人物は文学の知識に長け、それを武器に人を煽ったり馬鹿にしたり、あるいは世の中を斬ったり(って書くとバカみたいだが、そうなんだからそう言うしかない)といった投稿をしていた。


これはおれだけではないと思いたいのだが、無根拠な自信を持つ一方で、半分盲目的に心酔する人物ができてしまうのもこういう時期の一部の若者にある特徴だと思う(と、思いたい。どうかな)。痛々しい話だが、少なくとも自分はそうだった。そのとある掲示板時代から見ていた人が、時を経て改めて見かけたインターネットの世界ではそれなりに(一部界隈では)名前の通る人物になっていたこと、それに自分が再会できたのには感動した覚えがある。ハンドルネームは変わっていたが。

 

一時期はその人物の掲示板のログや本人のサイトにある文章を片っ端から読んだり、おすすめする本を実際に読んだり、そういう風に本人にメールを送ったり掲示板で絡んだりといった直接のコミュニケーションを取るわけではないが、一方的にその人物を自分の中に取り込んでいった。いわゆるファンであるが、それ以上、心の師匠くらいに捉えていたようにも思う。

 

 

ところが、ある時期から段々と心の師匠は「壊れ」始める。それは師匠側の劣化の問題なのか、自分の中での成長の問題なのかはわからない。とにかく、以前のように尊敬できないし、共感できないし、何なら見下しているのだった。
「師匠」本人も加齢によって自身のリアルな生活環境が変化して、心身の不調による弱気な発言や、細々とした生活の苦労がのしかかっているような様が垣間見えたりしていた。あるいは掲示板の長文だとまだ良かったが、Twitterなどに場を変えると全然イケていない文章というか、ふざけているのか本当にただのバカになってしまったのかわからないが、とにかく凄くつまらない人間に見えていた。

 

おれ自身も以前のように読んだ本を本棚に並べた部屋写真を撮ってさりげなく読書家アピするような虚勢を張ったり、本を読んで覚え立ての単語や理屈を早速使ったりみたいな背伸びをすることもなくなった。本は表紙を見せびらかさず腹落ちしてこそだし、むしろ読んだものは隠したほうが良く(これは幽遊白書の蔵馬の言っていた「切り札を持て、見せるなら更に奥の手を」的な名言から来ている行動理論です)、また理屈も自分のことばに置き換えられるようになって初めて自分の武器として使いこなせるものだとやっとわかったから、読んだ本は心おきなく捨てたりできた。とにかく自分が消化できるものとそうでないものがあること、消化できないのは自分がバカだからではなく食い合わせが悪いか食い物が悪いと思えばいいと気付いたことが大きい。

 

そういう風に心の師匠に近づこうとする心理は一切消え失せた。これがアイデンティティの確立なのか、恋の終わりなのか、あるいは師を超えたのか、どれもしっくり来ないし、なんとも言いようがない。ただ事実としてはその人物はおれの中では最早さして気にかける人間ではなくなっていたということだ。今、どうなっているのかもよく知らない。

 

 

ところで、まだおれのTwitterフォロワーが100に満たない頃(ただし総ユーザー数自体も今と比較すると小さい)、見知らぬ若者がフォローしてくれていた。ツイートの内容的には学生さんのようだった。彼はほぼすべてのおれのツイートをファボってくれて、ブログなどもかなり追いかけて見てくれているようだった。彼の中でおれがどういう位置づけなのかはわからなかったが、ふと先に書いたように、自分にも心の師匠がいたな、ということを思い出したのだった。


そして彼はある時期を境に全然ファボらなくなった。ツイートもしなくなったし、アカウントも消えた。「弟子よ、ついにおれを超えたか……」と感じた。今元気ですか。