光景ワレズANNEX

赤いソファを知ってるか 青いソファを知ってるか

田舎の高校生が東京に遊びに行くハードルがとても高かった時代に東京のオフ会に出たが何も覚えていない

f:id:akasofa:20180501001655j:plain

インターネットが一般に使われるようになったWindows95の時代、ぼくはWindows3.1のPCを使っていたのでインターネットに繋ぐことができなかった。モデムはあったがプロバイダに接続する方法とブラウザが無かったのだ(無いこともないが当時高校生の財力と情報収集力、かつ群馬の片田舎ではどうしても入手できなかった)。


ここでインターネットから入ったらきっとまた色々違う人生だった気もするが、当時は代わりにパソコン通信草の根BBSと呼ばれる掲示板を利用していた。
パソコン通信が何かをザックリ説明すると、「インターネット」ではないのでプロバイダに接続してからブラウザから検索とかURL入力……とかではなく、直接モデムからサーバの電話番号に発信して接続、ターミナルソフト(TeraTermとか)でテキストベースのメニューで色々な掲示板を覗いたり書いたり、あとはチャットやメールもできたりする。閉じた環境と言い、感覚的には認証制だった時代のmixiの写真が一切無いバージョンみたいな感じが近いかもしれない。

 

ここでの思い出や失敗の話は色々あるのだが、これは最初で最後のオフ会に参加したときの話だ。

 

高校1年か2年のときの夏、花火大会に乗じたオフ会が開催された。夏休みだったので意を決して参加を表明した。その大会は東京・江戸川区の花火大会で、篠崎と本八幡の間くらいで毎年開催しているあれだ。群馬に住んでいる高校生にとっては少々ハードルの高い話で、電車代は往復で3000円程度でまだ良いが、当時ひとりで外泊という概念もなかったので当然日帰りを前提にすると、花火会場を19時くらいには出ないとちょっと危険な距離だった。大会のスタートですぐに帰らねばならないというバカみたいな話なのだが、割とチャットや書き込みで交流を広げており、その人たちにナマで会えるという好奇心が勝っていた。誰かに泊まらせてくれみたいなことを言えば乗ってくれる人もいたかもしれないが、そういう図々しくも大胆な発想がそもそも無かった。

 

当時のBBSユーザーは、パソコンが普通に20万円くらいした時代なので大人(しかも偏った方向の)ばかりで、ぼくのような高校生とかは珍しかった。そこで自分の交流している範囲にはアイドル的にチヤホヤされていた女子高生と女子中学生の姉妹がおり(親のパソコンを利用しているようだ)その子らも来るというので、恋とはちょっと違うがまずは仲良くなれれば良いと思っていた。当時、ネットで男女が出会うみたいな概念が出始めた頃だった気がするが、とにかくそこは男子にしろ女子にしろ大学生以下らしきユーザーは本当に少なかった。「遠方に友達がいる」などというのも雑誌の文通コーナーなどが普通に成立していた時代だったので、それだけで何か特別な気持ちになるようなあこがれがあったかもしれない。

 

ぼくは家を朝早く出て、群馬は東武伊勢崎線の片田舎の駅から北千住経由で秋葉原に到着(秋葉原には年に何回か来ていた。オタクなので)、しばらく散策した後、都営新宿線岩本町駅からオフ会のある花火大会最寄りの篠崎駅に向かった。今思えばその掲示板に出た情報は日時、最寄り駅の篠崎と会場の大体の場所だけだった気がするが、どうやってそのオフ会に合流できたのかもよく覚えていない。「秋葉原駅岩本町駅が近い」という田舎者にはまず気付けなそうなワザもどうやって知ったのかまったく覚えていない(オフ会のやりとりで誰かに教えてもらったのだと思うが……)。スマホどころか携帯もまともに普及していない時代で、もちろんぼくも携帯など持っておらず、でもそれだけのノーヒントで群馬の高校生がよくたどり着いたと思うが、イザ無ければ無いでなんとかなるのだろう。これ、行っても会えませんでした~という話ではなく実際にそのメンバーとは合流できている記憶はあるので、何かを目印に見つけてもらったのだと思うが、とにかく何とかなるのだ。


何とかなった結果、そのオフ会の会場である大きなビニールシート上に着席し、何人かに挨拶をした…ような記憶がある。覚えているのはオッサンばっかりだというところ、当時珍しかったデジカメ(カシオのQV-10という10万画素のやつ)を持っているひとに顔を撮られたこと、花火の一発目を聞いて帰ったということである。
肝心の女子中高生姉妹であるが、もはやルックスの記憶がほとんど無い。少し会話をしたような覚えもあるが、今の自分の記憶の中だと姉が山本コウタロー、妹が魔神ブウみたいな顔だったようなことしか記憶に無い。書きながら思い出したが山本コウタローが駅まで迎えに来てくれたような気もする。
しかし当時自分が17歳くらいのときの記憶で多分50歳くらいのオッサンもいた(見た目がフケていただけかもだが)ので、もうそうすると現在もう70歳過ぎのリアルジジイなのだなあとかその辺もちょっとゾッとする。
自宅に帰ったらジャパンカウントダウンの終わりかけだったような気がするので、当時は土曜日ということ(当時は土曜日にやっていた)は覚えている。なんだろうこの記憶の比重。

 

……この体験は着地点を決めずに初めて文章にしたのだが、これほどまでに「覚えていない」ものかと愕然とした。皆様におかれましても今を生きつつ写真なり文章なりに残すことを強くオススメしたいところであるが、しかし実は高校生の頃使っていたPCのデータを保存したフロッピーディスクはまだこの手元にある(最初の写真です)ので、これの中身が無事であれば、あとPC-98形式が読めるPCとフロッピードライブがあればもしかしたら何らかの当時のログをサルベージできるかも……とも思っている。ただ結構これも自分的な相当なパンドラボックスなリスクもあるので、読み出す努力の前にとっとと廃棄というのも一案である。貴方ならどうしますか。

 

f:id:akasofa:20180501002012j:plain

と思ったら、綾波レイがあしらわれたTOP SECRETとかラベルに書いてあるフロッピーが出てきた。これは今すぐ焼き捨てるべきだな絶対。

 

(おわり)