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赤いソファを知ってるか 青いソファを知ってるか

無理矢理アイドル声優のファンになろうとしたことがある

ぼくのオタク的な趣味は中高生あたりがピークだった。基本的にガンダムやエヴァをはじめとしたロボットアニメが好きだった。硬派なオタクを自認していたので。

 

その頃のアニメ業界では女性声優のアイドル的な持ち上げ方が盛り上がっていた時期だった。具体的に言うと、椎名へきる、國府田マリ子、林原めぐみあたりがアイドルのように扱われ、カウントダウンTVのCD売上げオリコンランキングに食い込んでくるような(ただしプロモーションビデオが作られていなかったので静止画のみ)状況だった。

 

オタクなので声優のラジオやラジオアニメ(絵が無いのにアニメって何なんだとは今でも思っている)は聴いていたが正直、まったく興味が無かった。硬派なオタクなので。

 

それでもオタク友達とかはマリネエ(國府田マリ子)がどうのこうのとか言っており、高校で同じクラスだった田口君は、学校にサバイバルナイフを持ってきてそのナイフでパンを切ってフォーク代わりにして食べている(傭兵とかがやりそうな仕草)というほどのヤバイオタクだったのだが、彼もマリネエの信奉者であってヘタに興味が無いような素振りを見せるとマジのトーンで怒ってくる感じだった。声優にアイドル的興味を持たねばならないのだな、興味の無い自分は半端モノなのだなと反省した。

 

——しかし今振り返っても、ぼくは基本的にアイドルとかは全然好きになることがその後の人生でも全然なくて、AVでもトップ女優よりは素人風なモノを好むわけですが、やはり身近な人間のほうを普通に好きになる性分だったので、共学校であったら当然学校の子のほうが好きなわけで、ある年同じクラスになったナデシコちゃんと勝手に脳内あだ名を付けた女子をアイドル風味に信奉しており、結局ナデシコちゃんとは1年トータルで多分5分も会話してませんが、しかしそのときのクラスでは月1回席替えがあって、運良くナデシコちゃんの隣になる奇跡を引き当てた月があり、教科書をわざと忘れて見せてもらったりしたのも今思えば相当気持ち悪い思い出です。すみませんナデシコちゃん。今お元気ですか。

 

ところで、ぼくはアイドル声優好きであらねばならぬ、という使命感を持ったため、とりあえず当時のトップの人気が椎名へきるだったので、これを好きになろうと決めた。ファミ通か月刊ニュータイプか何の雑誌かは忘れたが、椎名へきるのグラビア(一応念のためだが水着とかでは一切無くただの普段着)を切り取り、壁に貼った。効能としては「○○大学合格」の貼り紙を貼るのと変わらない、一種の暗示のようなものを狙ったのだろうし、ファンとはポスターを壁に貼るものという様式美があったせいもあるだろう。実際自分の当時の部屋に貼っていたポスターはパトレイバーとセーラームーンではあるが。

 

しかし当時もしくは今ファンの方には大変申し訳ないのだが、まず普通に顔が好きになれなかった。またラジオは聴いていたので声もキャラクターも知っていたし、人気が出ることも理解できていたが、自分の好みには合致しなかったのだ。というか当時のアイドル的な女性声優さんたちに好きになれるフェイスの方々は一人もいなかった。もっというと、ぼくは顔では好きにはならないのだった。うん、反ルッキズムというか、最初からそういう言い方をすると良いですね。

 

まあとにかく、椎名へきるさんには勝手に無理矢理に好きになろうと思い込もうとしてしかし自分に嘘をつけなかった、という一方的なディスりのようなことをして申し訳ないところだ。結局どこかのタイミングでその壁に貼ったグラビアを捨て、代わりにファイナルファンタジーか何かの1ページ広告をポスター代わりに貼った。硬派なオタクなので。

ここまで書いていてひとつ思いだしたのだが、部活が少しの期間だけ一緒だった新島という男がいて、コイツは調子の良い感じのいい加減なヤツで、中学の卒業アルバムもアマチュア無線の受信機も結果的に借りパクされたのだが、そいつがなぜか一度だけ家に遊びに来たことがあった。そのとき、丁度まさに椎名へきるのグラビアを壁に貼っていた時期だったので、それ以降新島の中ではぼくは椎名へきるファンのオタクという扱いになってたまに椎名へきる情報について聞かれたりしたのだった。特に興味がなかったし、アニメ界を羽ばたいてアーティストになる的な動きで一部のオタク界隈から反感を買ったりもしていた記憶もあるが(←違ったらすみません)、面倒なので生返事だけしていた。おい新島、卒業アルバム返せ。

 

(おわり)

 

※オタクだった頃の思い出を書いた他の記事です

akasofa.hatenablog.com