光景ワレズANNEX

赤いソファを知ってるか 青いソファを知ってるか

「友だち」の有効範囲

あなたは、友だちはいますか?

 

ぼくはこの問題をずっと曖昧にしたままもうちょっとで不惑を迎える。惑いまくってるのに、だ。

 

友だちの定義は非常に難しい。難しいというか、自分の中で勝手に難しくしてしまったというか。例えば、大学時代にぼくはサークルに入っており、ここでの仲間は多かった。この大学の先輩/後輩と関わったエピソードを今会社の人と飲み会をしているとして、そこでどう説明するか。大学の先輩/後輩である、ということ自体が話題の中で重要な要素ではない限り、話の雑音になってしまうので省略して「友だち」ということにする。実際友だちのようなものだし、それでいいと思う。

 

高校以前からの知り合いもまた友だちでいいと勝手に思っている。ほぼ誰にも会ってないが、これは他人への説明上はもう友だちorクラスメイト程度の区分で充分な気がする。

 

逆に、ぼくは会社には友だちが一人としていないと思っているので、会社以外の場で会社の人のことは「会社の人」と説明する。そうとしか言いようがないからである。

 

そして、一番難しいのがインターネット関係だ。

友だちと言ってしまえば友だちかもしれないし、もはや会ったことすら無い人を友だち扱いしていいのか、それは図々しくないかという思いもある。いや、会ったことがあったとしても友だちと断定していいのか?皆目わからない。みんなは友だち認定をどうやっているのだ。まさに何かしらのフレンド申請的なことをしているのだろうか。ぼくが所属するハイエナズクラブというサイトの仲間たち、これは対外的には便宜上友だちということにさせていただいている。中にはそう思うのは図々しいだろ距離感読めと思っている人もいると思うが、それは聞こえても無視する。

その他、一度会ったことがあり、相手がこちらを認識しており、敵意が無い、このくらいの人であれば会社での会話などでは友だち扱いすることも少なくない。流石に会ったことない人を友だちと言ってしまうと相互フォローの藤岡みなみさんクラスでもぼくは友だちということになってしまうのでそれは流石にあつかましすぎるだろとわかる。

 

そしてこの辺りからはいよいよ図々しい話に入っていく。

 

ウェブライターのヨッピーさんは、以前パクツイ関連の記事でぼくのことを友だちと便宜上表現していたので、もう友だちという風に認定している。ヨッピーさんが会社の人の話題とかに出たら友だちと言い張るつもりだ。どっかにスクショも取ってあるから違うとは言わせない。

 

 

先日、4歳の息子と本屋で絵本を買っていたらカメントツ先生の『こぐまのケーキ屋さん』がレジ前に平積みしてあった。ここで平凡な何物でもない父親、子どもに見栄を張りたくて言ってしまった。「お父さん、この本作った人の友だちなんだよ」と。

カメントツさんは何度か飲んだことがある。DMもたまにやりとりする。古い仮面を被らせて貰ったことだってある。もう2年くらい会ってないがそういう感じなので、もう友だちでもいいのではないかと思ったのだ。ただし最近超売れて、(勝手な想像だが)まさにぼくのように「友だち」や「世話人」「親戚」が増えたりして人間不信になるフェーズだろうから、勝手に言ってスミマセンという話でしかない。

 

 

更に更に、最近少年ジャンプで凸ノ高秀先生の『アリスと太陽』の連載が始まった。その週、ハガキアンケート投票をするために紙雑誌のジャンプを買ってくるなんて本当に20年ぶりくらいだったが、そういうわけで我が家に見慣れない雑誌が鎮座した。当然息子は「これはなんだ?」「なんで買ったの?」と気にしてくる。そこで平凡な何物でもない父親、またもや見栄を張る。「この漫画はお父さんの友だちが描いたんだよ」と。

凸ノさんもまた何度か飲んだことがあり、同じくDMもやりとりしたりする。大物になる前にと仕事用のノートにサインを貰ったこともある。しかし、しかしだ。この線引きあたりを「友だち」と言っていいのか?非常に悩ましい。少なくとも売れた後で言うのは卑怯じゃないのか。ズルくないのか。

 

……というか、ほんとに世間一般で友だち認定の線引きとか合意形成ってどうやっているのだろう。そういうところをズッポリ置いてきて育ってきたどころかもう老い始めてすらいるのだった。

少年マンガなんかの「だって、友だちじゃん!」って台詞言われるのに超憧れる。