光景ワレズANNEX

赤いソファを知ってるか 青いソファを知ってるか

定規で紙を切るおじさんはどこに行った?

新卒として会社に入った十数年前のことだ。

 

いわゆる総合システム屋さんなので、新人の大半はプログラマーとして各部署に配属される。ぼくもいわゆるメインフレーム機のそういう仕事を担当した。

 

プログラマーとはいえ新規開発は殆どなくて、既存のプログラムやジョブ(既存のプログラムをうまいことやりくりして、やりたい処理を実現させるようなやつ)の修正がメインだった。

当時は、その担当のメインフレームの開発機やそれ以外の複数のシステムを含めて、何かしら紙の印刷物を出したい場合、一括で社内のとある場所にあった巨大なプリンターから出てくることになっていた。また、その紙はプログラムの修正内容や試験結果のいわゆるエビデンス(証跡)として必要とされ、出力は欠かせないものであった。

 

 

 

コクヨ 連続伝票用紙 白紙 15X11 2000枚 EC-5151N

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プリンターはこんな感じの連続用紙が使われるタイプのものだ。

そのプリンターが置いてある部屋をプリンター室と呼ぶが、そこには自分がプログラマーとしての仕事で行くのは勿論、自部署の人たちが出力したものも全て一括で出てくるので、ルーチンワークとして日に何度か新人のおつかいとして赴くことになっていた。

 

プリンター室では常にニュルニュルと両端に穴が空いている用紙が巨大プリンターから出続けている。そしてその部屋にはプリンターだけではなく、ある程度の規模の会社にあるメール室のイメージだが、部署別のボックスがあり各部署が思い思いに出力した紙の束が振り分けられて置いてある。自部署のボックスを覗き、溜まっている紙を回収し、持ち帰ってそれぞれの担当者に配る。非常にアナクロというか、当時のぼくもこんなことマジで今時やってるの? とずっと疑問を持っていたが、ともかくそういうのも新人の仕事のひとつであった。部署内で急ぎの用でその紙がすぐに欲しい、という人がいるとルーチンの時間外にそのためだけに取りに行ったりもした。自分で行けやと普通に思うが、社外パートナーさんなどで権限上行けない人もいたので仕方がない。

 

ところで、そのプリンター室には「ヌシ」がいた。

見たところ50歳過ぎは確実ではあるが自分より大幅に年齢が離れた人の年齢はよくわからなくなる。まあとにかくそういう感じの人で、このプリンター室を仕切っている。ヌシと言っても数名いる部隊のリーダーとかではなく、おそらくその人だけしかいない。

 

プリンターから出力される内容は先に説明したとおり多数の部署からのものが入り乱れる。出力内容には基本的にヘッダーとフッターになるようなものが決められていて、人間が目で見て、そこを境目として連続用紙の切り取り線で切り、そして各部署宛てのボックスに入れてあげる、こうした一連の作業を手作業でやる必要があるのだった。そして、これを一手に担っていたのがその「ヌシ」のおじさんだった。プリンターの紙は社内の多数の部署から出る、紙を取ってくるのは新人の仕事、そして部屋のヌシ。この構図はそう、最近のRPGのチュートリアル担当の妖精かジジイみたいのが「装備した剣を振るのはXボタン、Lで盾を構えるぞい」みたいに教えてくるような、まさに会社のチュートリアル的存在であった。とはいえ別にこの人から仕事を教わることは何もない。向こうも何かを教えるということはなく、言ったら挨拶をする、貰うものを貰って立ち去る、あとは例外的に「特急で欲しくて回収に来た紙」をお願いして即時に切り分けて頂く程度のコミュニケーションだった。しかし今思えば、自部署以外の人にモノを頼むという社内調整の最初の一人目だったのかもしれない。HUNTER×HUNTERで言えばトンパの位置づけなわけだが、別にイジワルをしてくるわけでもなかった(女性の新人とかだともしかしたら絡んでいたかもしれないが……)。

 

このヌシのおじさんは手に竹製の定規を常に持っていた。おじさんにとっての「装備してXボタンで振る剣」である。

 

これはヘタな例え話ではなく割とマジで、どういうことかというと、プリンターからとめどなく出力される連続用紙をこのおじさんはあざやかに「斬って」いた。

すなわち、先に書いたとおり連続用紙の中で、出力者ごとに異なる内容の切れ目で切り取り線で分断する作業、これをこの竹製の定規を使って行っているのだった。まさに剣士だ。多分、色々な経験を経てこの竹製の定規に行き着いたのであろうことは想像に難くない。また当然ながら定規自体なかなか年季が入っているようには見受けられた。

 

新人のぼくが自部署の「特急で欲しい紙」を貰いにルーチン外の時間にプリンター室に紙を取りに行き、まだ切り分けられていない用紙の中から「もう出力はしていると思うのですが…」などと言って目的の用紙を切り出してもらう。まるで「今日は良いマグロが入ってるヨ」みたいなノリである。おじさんは特に偉ぶるでも説教するでもなく、快くそういうワガママにも対応してくれた。新人に課せられたルーチンワークは実はこれ以外にも幾つかあって、そっちのほうにはめんどくさいマジのトンパみたいなやつもいたのでヌシの優しさは救いであった。そのときの特急で切り出してくれる紙さばきの鮮やかさが今でも頭に残っている。切り取り線が入った紙を切るときのプパパパパパッという音、印刷内容のフッターとヘッダーの切れ目を見極める目、そして竹の定規。

 

しかしぼくはこの仕事を数ヶ月で離れて別の仕事がメインになったので、このプリンター室に行くことも無くなった。またそもそもとして、時代の流れで「紙による証跡」というルールそのものの変更や、会社組織の見直し等でこのプリンター室自体がいつだかに無くなったと聞いた。当然、例の定規を装備してXボタンで鮮やかな剣技を見せていたヌシのおじさんもどこに行ったのかもわからない。ただ雰囲気的にはもうあの定規の剣を振る以外の仕事をやるのも「無い」感じはあった。

 

よく、どこに行っても通用するスキルを持つことの大事さ、「手に職を付ける」とか「資格を持つ」とかいうことがこの時代を生き残るのに重要だという話がある。確かに定規を振って紙を切るスキルは不要になったのだろう。しかし時代の変化は読めないので、じゃあ定規じゃなくて分度器だったら良かったのかとか、ハサミだったら良かったのかとか、そういう話はあまり本質的ではないとぼくは思う。

この会社ではスキルがつかない、ともっとWeb系や最新技術寄りの会社に行った同期も少なくないが、それは結局定規じゃなくてハサミを求めに行っただけではないのか、とちょっと思ったりもするのだ。本当に生き残るために、と考えたら果たして何が大事なんだろう、と考えるとき、あの定規を華麗に振り回すヌシのことを少しだけ思い出す。

 

余談だが、用紙の振り分け作業は前述の通り完全に人力なので、普通にヒューマンエラーが少なからず発生し、自部署のものじゃない紙が自部署宛てのポストに入っていたりもした。が、それは互いの部署間でやりとりし合うことになっていた。もしかしたら、ヌシのおじさんの中では仕事はノーミスの認識だったのかもしれない。気付けないから。でもおじさん、お前結構ミスってたからな。

 

 

 

シンワ測定 竹製ものさし 50cm ハトメ付 71765

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