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赤いソファを知ってるか 青いソファを知ってるか

鯛焼きを食べたら「主人公と戦う気が失せる強敵」の気持ちがわかった

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近所の鯛焼き屋は割と繁盛していて、小腹の空く夕方にはかなりのペースで売れていく。実際に皮が薄くパリパリで香ばしく、あんこも程よく甘くて美味しい。人生で食べた鯛焼きランキングで間違いなくベスト3には入る。息子もここの鯛焼きだけは好きなのでよく遊んだ帰りにひとつ買って、イートインスペースで二人で分けて食べている。 

 

しかし、だ。「鯛焼き」という食べ物、この美味さの本質は実はよくわからない。

実際「めっっっっっっっっちゃめちゃウマいんですよここの鯛焼き!!」と言われて、信じる? ピュア〜な上京し立てですぐ原宿のスカウトサギに引っかかりそうな田舎者でも信じないのではないか。つまり、鯛焼きという食べ物のテッペンって見えてるよな、と思わないだろうか。ここの鯛焼きを推薦したい自分ですら、そう思う。

 

ところである日、一人で出かけた帰りだったので家にこの店の鯛焼きを買って帰ることにした。アツアツの鯛焼きを紙袋に入れて歩いて数分、自宅に付いてお茶を淹れさて食べようか、とガブつくと、これがなんと、普通の鯛焼きだった。普通、すなわち「美味しい!」と思えない。ごくごく平凡、どこぞにでもある、テキトーなテキ屋やなんでずっと営業しているのか不明な老舗の粉モン屋あたりが出す鯛焼きとさほど差が無い。はっきり言って、悲しいほど期待外れなシロモノだった。

 

原因は明白で、持ち歩いている間に鯛焼き自身の湿気で蒸されて、皮がフヨフヨになり香ばしさやパリパリ感が失われてしまったのだ。またあんこもそのせいなのか少し野暮ったい感じになっていた。とにかく、この店の鯛焼きのベストコンディションとはほど遠いものだった。仮にこの状態の鯛焼きを誰かに「めっっっっっっっっちゃめちゃウマいんですよここの鯛焼き!!」と言って差し上げたりしたら、間違いなくこいつヘボい舌だねと思われる。

 

よく漫画やゲームなどで強敵が「殺す価値もない」と主人公を見逃したりするパターンがある。ご都合主義だなあと思うが、これはリアルにその立場になるとそう思うのかもしれない、とこの鯛焼きをかじりながら思った。

すなわち今は弱っちい主人公だけど、ベストコンディションあるいは修行後で伸びたらもっとパリパリな鯛焼きなのではないか、今の主人公はお持ち帰りのフヨフヨの鯛焼きなのだ、そう思ったら「確かにパリパリの鯛焼きたる主人公とも戦ってみたい…」と思うのも、なんかわかるのだ。だって逆にフヨフヨの鯛焼き食べてるところに「それ、出来たてを店で食べるとパリパリで8倍は美味いですよ!」と伸びしろの存在を聞いたら、やっぱ食べたいじゃない。

 

そして話を広げると、自分が今まで出会った人間、食べたお店の食べ物たち、受けたサービス、どれくらいが相手の想定したベストコンディションだったのか、と思う。また逆も然りで、自分が本来のベストコンディションだったら友だちになれたかもしれない人がたまたま気圧のせいで機嫌が悪くて気が合わなかったとか、たまたま店を訪れたタイミングで炊飯器の底に残った古いご飯が回ってきたせいで美味しくないと思ってしまったとか、そういう可視化できない不慮の事故も沢山あったのだろうと想像する。言ってたらキリはないが、もしなんか目の前に嫌な感じの人がいたら、もしかしたらこの人は今フヨフヨの鯛焼きなのかも、とちょっと想像してみる余裕はできたかもしれない。

 

(おわり)