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赤いソファを知ってるか 青いソファを知ってるか

高校生クイズに出て西武球場のグラウンドに立ったことがある

ふと思いだしたが、ぼくは高校生クイズに一度だけ参加したことがある。

 

www.ntv.co.jp

 

 

あの番組、今やどう考えてもガチ勢しか勝ち残れないのはわかりきっているが、参加した当時、高校2年だったので20年以上前のことだが、そのときはなんとなく参加した人間でも運が良ければ勝ち残るのでは?そして運フェーズを越えたら案外わかる問題ばかりだし、イケなくもないのでは?という甘い考えを持っていた。結局優勝校は最低でもそれなりの高偏差値高校であるというのはかなり後になって気付く現実であった。

 

たった3年間の高校生活、なんとか一回くらいは……と思っていたのはヤマヤマだが、一緒に行ってくれそうな、かつ知力に秀でていそうな人間が周りにはいなかった。

そんな中、部活の先輩にあたる3年生の「大将」というあだ名の天パ朴訥フェイスの男が一緒に行ってやる的な話になった記憶がある。この男とは別に全然仲良くないし、何ならバカにしていたのだが、2年よりは3年生のほうが知識はあるだろうと考え、もう一人を探すことにした。

 

メンバー探しから始まる青春漫画は少なくないが、この部活は生物部という漫画の題材には一切ならない部活で、メンバーも完全にただの放課後の遊び場感覚だったので部活らしい活動はほぼ皆無だった。この部活、男性はぼくと大将以外いなかったので、本来漫画的展開であれば当然ヒロイン的な女性を入れたいところだが、そこは童貞の精神力では普通に誘うのも無理だったし、誘ったところでこのコンビと休日を過ごすという悪夢のハッピーセットでは誰も乗って来ないのは明らかだった。大将のツテで誰かいないのかと問うと、大将と同じクラスの糸井という奴に声を掛けるという。この糸井という男、学校内でもゴッリゴリのオタクで有名で、気持ち悪さで全校に名を轟かせていた。そしてクイズ研究会という学校内の非公式部のようなものを主催しており、メンバーは糸井だけだった。糸井のルックスはオウムの幹部みたいな感じで、当時はまだオシャレなメガネが流通していない時代だった(一人だけ、今当たり前にかけられている細いレンズの黒縁眼鏡をしている奴がいたが、むしろウルトラセブンだとバカにされていた。田舎は都会を理解するのに時間がかかるのだ)ので糸井はアメリカのシリアルキラーがしてそうな台形みたいな金属メガネ、大将は当時の最先端技術が詰まったフレームレスのメガネ、そしてぼくは小林よしのりみたいな丸いメガネをして、このしょうもないメガネをしたしょうもないオタク3人組で高校生クイズに挑むこととなった。

 

 

 

ところでそのときたまたま、日テレの日曜昼の番組で『TVおじゃマンモス』というのがあった。日テレの番組の裏側に潜入したり、番組企画に番組として参加したりというのがウリで、高校生クイズにこの番組経由の特別枠でチームを募る、というのをやっていた。

ぼくはコレだ!と思い、この企画にハガキで応募した。意気込み的なものは何を書いたか一切記憶にないが、これに運良く当選し、おじゃマンモスチームの一員として高校生クイズに参加することとなった。

 

参加した当日はどうやって西武球場まで行ったか一切覚えていないのだが、上記の大将と糸井と3人で行ったのがあまりに地獄すぎてきっと記憶の奥底に封印したのだろう、まあとにかく、球場のおじゃマンモスチームが集う場所(確か二軍のグラウンド)に行き、受付をした。

 

一般の参加者と違い、おじゃマンモスチームはその参加の様子自体がこっちの番組のドキュメンタリーになるので、既にテレビカメラもいたし、サポーター的な位置づけで、当時全くの無名だった女性芸人コンビ『オセロ』がいた。待ち時間にオセロの洗脳されてないほうの人は普通に高校生と普通の雑談をしてくれて、お茶を配ったりもしていたので、それ依頼ぼくの中のオセロ好感度はマイナスではない。正直この人ら1000パーセント売れないだろうなと思っていたが、ところがどっこい、今洗脳されてないほうの人はあんなに偉そうにというか一定のアネさんポジションでテレビに出続けている。凄いことだ。なおサインも貰ったがこの人たちは売れないだろうと判断したこともあり、高校の部室のどこかにやってしまったまま卒業した。

 

おじゃマンモスチームは一般参加と異なり、いきなり西武球場のグラウンドに立つことができる。当時、テレビに映る(かもしれない)ことや、プロ野球のグラウンドにどういうカタチであれ立つことなど群馬の片田舎の高校生になど身に余る体験だったので、このあたりはよく覚えている。

 

最初に○×問題が2問提示され、確率的に言えばいきなり1/4に減らされるというシステムだった。そしてその問題は解答までの間、誰かに電話して聞いたりというのもアリということになっていた。当時、携帯電話やPHSを持つ人も多くなかったので公衆電話には行列、あとは持ってきた本などで調べたりということも可だったが、問題は最近のことのアンケート結果なので、調べものでどうにかなるものではない。

 

第一問を引用すると

1996スポーツの祭典、アトランタオリンピック日本選手団が世界の強豪に打ち勝つ為に持ち込んだ“切札”を全選手に聞きました。結果、YARAWAちゃんをはじめ、回答のあった86名のバッグの中には勝利の守護神「お守り」よりもストレス解消の妙薬「梅干し」の方が多かった。 

だが、これ、何のヒントもないとして○と×、どちらを選ぶだろうか。

 

 

……普通に判断すると、「お守り」つまり×だと思う。

和食が恋しくなるのはそうかもしれないが、他に持って行ける食べ物は色々あるし、大体梅干しをアスリートが好んで食べるかどうかもわからない。元々好き嫌いの激しい食べ物だ。一方、お守りはカタチはどうあれそういうものは一般的に有り得る。貰うこともあるかもしれない。やっぱり普通に想像したら、お守り、だ。

 

……しかし当時、我々は「お守りより梅干しのほうが多い!!!」と大真面目に判断した。なんでそう思ったか今でも疑問だ。しかも3人いて。まあ3人揃って社会性の欠如したメンバーというか、スポーツ選手の気持ちなど微塵もわからないというか、ピーク・オブ・童貞のエロ以外の想像力は所詮その程度ということだ。ぼくもそのときはクイズ研究会会長の糸井サンも言っているし梅干しに違いないという確信を持っていた。なお、電話ヘルプなどをする相手は3人ともいなかったのでどこにかけるでもなく、長すぎるシンキングタイムを所在なく過ごした。ぼくにはそれでも、何回戦めかで宿泊所の夜に行うクイズバトルのことを想像していた。なんで梅干しで勝てると思ったのだお前。

 

そしておじゃマンモスチームは一般参加者と別の場所に集合し、通常作業用の車両などを入れる入口から徒歩でグラウンドに立つ。球場の座席には、問題の答えごとに別れた席に一般参加者が立っていた。親に連れられて西武球場で何度か野球を見たこともあったのでその広さには流石に身のすくむ思いがするとともに、どちらかというと一般参加者からの「お前ら何なんだ」の視線が辛かった。なお、梅干し派は相当少なかったのだが、「これいきなりこんなに減っちゃう?」くらいに思っていた。

 

そして、答えは当然「お守り」。1問目で敗退である。堂々とグラウンドに立っているのに1問目で間違えるクソザコ。普通に想像すれば選ばないほうを「敢えて裏を読んで」選んだのではなく、真顔で、満場一致で選んでしまった3人。高校生クイズのコンセプトのひとつに「三人寄れば文殊の知恵」つまり3人いるからこそ見られる奇跡や面白さというのがある。しかし田舎のバカなクソオタクが3人集まっても、文殊どころか桃鉄の赤鬼レベルの知恵にしかならなかった。ある程度勝ち進んだら「テレビを見てくれ!」とめちゃめちゃ言いふらすつもりだったのだが、ここで誰にも言わないことが確定した。クイズ研究会会長の糸井を含め、戦略とか過去の傾向からの予想とかも一切ゼロで、普通に玉砕した。

 

余談だがかなり後になって、進学校のクイズ研究会の練習や勉強の様子などをテレビで見るとそのマジ度合いにビビる。糸井は玩具の早押しマシーンは持っていたが、ただそれだけだった。今思えば「クイズ研究会」なるものの実態は、単にその玩具を学校に持ってきたことで糸井がクラスで半分バカにされて名付けられたものなのではないだろうか。それを真面目に「あの人はクイズに長けている。研究会会長だし」と捉えていたぼくも相当愚かだった。

 

 

閑話休題

敗退者はそそくさとグラウンドを後にして、そしておじゃマンモスとしては本来高校生をバックアップするというテイだったのだが、負けたメンバーには罰ゲームをしますということになった。バックアップどころか二度恥をかかせるということである。罰ゲームはゲート的なものの上に水の入ったバケツを吊り、水がジャバーとかかった後に何か負け惜しみを言ってくれというものだった。いかにも90年代のバラエティである。

 

とは言え、いっそそういう風に「おいしい」扱いになればまだマシか……などと思っていたら、糸井が「メッ……メガネがサビてしまいませんか…困ります…」などと番組スタッフに申し出た。ゴリッゴリのオタクな上にクイズ研究会会長だから多少は知識量に期待したところだったが、こいつの知力の低さを舐めていた。そんなわけあるか、一瞬でサビるメガネって何だよ。スタッフも「いやー今日は暑いしすぐ乾くから大丈夫ですよ」と半笑いで応対した。罰ゲームもただの水だったが、一応あの頃は丁度「テレビのお約束」的なものがある、というのがとんねるずやナイナイ等の活躍でなんとなく周知されつつあった時代だったので、ぼくは芸人の罰ゲームのリアクションを頭に思い浮かべながら精一杯オーバーに「うわ〜濡れた〜参った〜」的なことを言った。大将と糸井は普通に「あーちょっと濡れたね」くらいの薄いリアクションで、何ならスタッフを恨むくらいの感じで、これは無理だなと思った。

 

この罰ゲームの様子、実際の放送で確認し、結果として0.3秒ほどテレビに映ることができた(自分たちと同じような境遇のチームが細切れ編集でバシャーンバシャーンバシャーンとパッパッと繋げられた中の1チームとして)。もっとイケてるリアクションすればあるいは……とも思ったがそもそもそういう編集意図は一切無かった。今思えば当たり前だ。しかしあの当時は当たり前だが動画配信なんてまったく無かった時代だし、御テレビ様の映像に映らせて頂くことは田舎者にとっては大変名誉なことという感覚も若干あったので、これはこれで一応録画した。

 

この後、大将と糸井と3人でどうやって帰ったか一切記憶にない。あまりに地獄すぎてきっと記憶の奥底に封印したのだろう。

 

(おわり)

 

 

参考サイト(問題を引用させていただきました): 

http://www2s.biglobe.ne.jp/~kyosuke/qc/hq/kantou16.html