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光景ワレズANNEX

赤いソファを知ってるか 青いソファを知ってるか

昔、野グソした場所を30年振りに見てきた

数年ぶりに実家に2泊した。加えて、妻子を連れての実家への宿泊は初めてであった。両親にとっては初孫、2歳になってようやく食事や身辺のことも融通がきき、体力も付いて外泊しやすくなったこともあり、また可愛く素直に付いてきてくれる時期もそれほど長くないと思ったこともあり、ということでこのタイミングとなった。

10年ほど前に帰省したとき、群馬の片田舎にあるぼくの出身の小中高校や保育園を見て回ったことがある。それなりに感慨深いものはあったが、今改めてもう少し掘り下げる振り返りをしたいなとも思った。

そして去年あたりにふと、小学校の通学路をもう一度歩いてみようと思い立った。もう少し言うと、ぼくが野グソをした場所を再確認したいと思った。

 

ぼくの出身の小学校は家からとても遠く、6年間、徒歩で30分以上かけて通っていた。低学年の頃はもっと時間がかかっていたかもしれない。学区の端の端だったので多分同級生の中でもトップクラスに遠かった。
遠いとどういうことになるか。当然ウンコがしたくなっても間に合わないケースが出てくるのだ。特に当時の小学生男子にとってウンコはタブー中のタブー。高学年にもなると知恵が働き、体育館の寂れたトイレを使うとか、理科室や図工室など人が常時いるわけではない教室のあたりのトイレをこっそり使うなどといった工夫をするのだが、低学年の知性では律儀に我慢をしたりしてしまう。昼に欲張っておかわりしたカレーライスに対して八つ当たりをしながらウンコ我慢の家路を急ぐといった状況もしばしばあったと記憶している。

そうは言えども我慢にも限度があり、また漏らすとそれはそれで人権問題になる。そこに導かれる解決策はひとつ、野グソであった。

覚えているだけで野グソは2回している。その場所もだいたい覚えていた。野グソとはそれほど人生においてインパクトのある出来事であり、恥を忍んでするものなのだ。男とは童貞を捨てた相手や場所は忘れても野グソをした場所は忘れない生き物なのでよく覚えておいてほしい。


ところで野グソをするにもただ野にクソをすればいいというわけではなく、環境すべてが整わないと実行することは難しい。2回覚えているうちの1回は、家の近い友人と一緒に帰っていたときであった。しかしコイツがこと便意の権化と化した状態においては極めて邪魔でしかない。殺そうかと一瞬思ったりしたかもしれないが、幸いにしてそれほど友人は疑り深い性格ではなかったので、ぼくが急遽「今から鬼ごっこをしつつ帰ろう。ぼくが鬼になりここで待つから先に行ってくれ。50数えたら追うぞ!」と提案して友人を先に行くよう促して引き離し、そしてそこで一気にウンコをした。ものすごく勢いよくでたウンコは年齢の割に巨大であったと記憶している。そして何食わぬ顔で尻も拭かずパンツを履き、おそらくキレが良すぎて犬のように拭かずともなんとかなる感じであったのだろう、違和感のない肛門を自覚しつつそのまま平然と友人を鬼として追いかけたのであった。鬼ごっこというよりウンコのために自分は本当に「鬼」と化していたと思う。ちなみに、そのウンコはしばらく雨風で消滅するまではそこを通学路に使っている連中から「あそこにめちゃくちゃデカいウンコがある」とちょっとしたパワースポット扱いになっていたことをつけ加えておく。当時は犬のフンを持ち帰るみたいなマナーも発達しておらず犬飼いの人は大抵普通に道端にさせる道端ウンコ(道端姉妹の新メンバーではない)状態であったので、道端アンジェリカの最新情報はあたかも登山者が天候情報をしっかりとおさえておくが如くの徒歩通学において当然おさえておくべき情報だったのだ。なにしろウンコを踏むと人間扱いされなくなる時代だったのだから…。なお紙が無かったので人間の野グソという疑いを持ったものはあまりいなかったようだった。ぼくもぼくのウンコであることは知らんぷりして「スゲー!デカいなー!!」などとはしゃぐ振りをしていた。心の中ではコナンの未確定犯人のようなニヤニヤの表情である。

 

参考:犬糞看板コレクションシリーズ(ハイエナズクラブ)

 

覚えているうちのもう1回は、自宅がもう目視できるレベルの近さである。しかし限界中の限界、100%中の100%の戸愚呂弟状態、我慢が無理なものは無理なのである。ウンコ我慢経験を重ねた今だから言えるが、そろそろウンコできる!という気のゆるみは便意の猛攻に対しガードをゆるめることになり、かえってピンチを招くことがあるので十分気をつけたい。気のゆるみは肛門のゆるみに直結する。それと我慢中に走るのはお腹に刺激を与えるので良くない。ウンコ我慢中に目指すべき歩き方は、TV版エヴァに登場するジェット・アローンの歩き方なので是非参考にしていただきたい。

 

さてここまでが前振りで、その2回の野グソスポットを見に行くというだけの話である。見に行ったから何が変わるでもないし、まして自分以外にはまったくピンとこない話である。仮にぼくがこの後の人生で超すごい偉人にでもなれば「赤祖父 野グソの地」などといった石碑でも建てられたりするのかもしれないが、まああり得ないし仮にあったとしても死んでも遠慮したい。

 

 

 

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まず、自宅からほど近くにあるマイ野グソスポットはここである。

 

昔はほぼ雑木林と言っていいほど雑草に覆われた土地であったが、今は土地が整備され、家が建築中であった。この家が完成しいよいよ一国一城の主となるぞと喜ぶ施主とその家族がいるのだろう。しかしぼくにとってこの家はぼくが野グソをしたことがあるスポットに建った家、という認識でしかなく、死ぬほど申し訳なさすぎる。どうかこの記事で「アレッ、これうちじゃね?」などと気付くことがないようにだけは配慮しておく。そしてここを眺めているうちに想い出した。ぼくはここで、2回野グソをしている。つまり都合3回は野グソをしていた! やはり真実は現場で見えてくるものだ…。

 

 

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むかし、伊集院光のラジオのネタで「野グソ中、一輪の花」という一言ネタがあったと記憶している。その一言ネタを聞いたとき、ぼくはこのヴィジョンが鮮明に脳内に再生されたのをよく覚えている。この日もたまたま花が咲いていた。

 

 

 

 

 

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かつての小学校への通学路を歩いていると、一人でセルフ情熱大陸状態に陥っていることに気付く。架空の脳内聞き手(取材班)に対して「雨の日はね、このあたり変なニオイがいつもするんです」とか

 

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「あれ~ ここ酒屋さんだったんだけどな~ そっか~、なくなっちゃったか~」

などと説明している自分がいる。とても精神がウザい。誰しも「自分が仮に芸能人だったら」とか「バンドで武道館に立ってたら」みたいな夢想をしたことがあると思う。今更バンドなんて絶対無理だが、情熱大陸は割に身近に有り得るのがまた残酷でもあるなあ、と宮川サトシさんのマンガを見ても思った。

 

omocoro.jp

 

 

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そしてもうひとつの野グソスポットはここである。当時はここは高さが下がった畑だったが、今は整備されて駐車場のようになっていた。ここで先の鬼ごっこの提案をし、(野グソの)鬼として潜んだ場所だ。

 

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都合良く棒きれが立っているが、これはぼくのウンコの墓標だろうか。本当にこの場所、ジャストでこの場所だ。当時はもっと高さが低かったので周囲からも見えにくく、絶好の野グソスポットだったのだ。

 

 

ぼくの野グソをした場所はこのふたつである。凄く感動があるかというとそんなことはない。ただ不思議と、とても晴れ晴れした。これらの風景はぼくにとっては30年近く前の記憶とのギャップがとてもたまらないものであったが、ぼく以外にとってはどこにでもありそうな、ありふれた片田舎の風景でしかないと思う。風景とはそういう自己の投影もコミで見るものだったりするからそれでいいのだ。

 

そしてそのまま小学校までの道のりを歩いた。

 

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小学校の低学年の頃は、なぜか給水ポイントとなるいくつかのご家庭があって、そこに寄って「水ください!」というと水を飲ませてくれた。一緒に帰っていた近所の友達がなぜその家を選んでいるのか不明だったが、炎天下に30分以上ヘルメットを被らされて(徒歩でも被る義務がある地区だったのです。今思うと完全に異常)年齢一ケタの子供がヘロヘロになって歩いているとしたら、水の一杯くらい喜んで提供するだろう。これも今ではなかなかあり得ない状況かもしれない。

 

 

 

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ひとつ学年が上の、「松ゴリ」というあだ名のゴリラそっくりの男の家があった場所は花畑になっていた。なんだこれは。夢みたいだ。よりによって松ゴリの家が花畑。松ゴリの家が花畑。果たして元気なのだろうか。ちなみにまったく仲良くはない。

 

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この交差点は、母が交通事故を起こした結果、それまで無かった信号が取り付けられた。夏休み中だったが、母が入院した間、車をぶつけた側のママさんが毎日昼飯を自転車で持ってきてくれていた。車はぶつけたせいで修理中だったのかもしれない。このママさんの食事の味は自分の母が作るそれとまた違う世界を見せてくれたことをよく覚えている。端的に言うと母は実はあまり料理が巧くないということがわかった。

 

 

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このあたりは昔ドブに蓋がされておらず、通学中の小学生は悪ふざけで落ちることもままあった。自分も一度だけドブに片足を浸けてしまったことがあるが、悪ふざけの結果全身でダイブするバカ小学生もいたのでドブの暗渠化は時代の流れとして当然である。ドブに落ちてもいいことはひとつもないが、汚染という意味ではなぜか犬のウンコを踏んだときのほうが周囲からの差別的な扱いが重かったと記憶している。でもやはりドブも結構ヤバいと思う。

 

 

 

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小学生の時ほぼ毎日行っていた駄菓子屋は、ぼくが実家を出る前にはもう閉店していた。敬意と愛情を持ってババアと敢えて言うが、ここのババアは駄菓子をおかずにメシを食うくらい常に駄菓子屋という商売に向き合っていたし、小学生として最初に対峙する大人、最初に覚える資本主義社会の現実なので、それが無くなったのはとても残念である。消費税と袋代は取らないのがポリシーとのたまっていたくせに後から袋代を取り始めたときの、自分を含めたユーザーの批判はすさまじかった。やはり最初の経済を学ぶ社会勉強はコンビニよりババアの駄菓子屋のほうが良いと自分は思いたい。しかし30年前で既にババアだったので、確かめようもないがきっともうこの世にはいないのだろうなあ、と思うとちょっと胸が痛む。

 

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時代の流れから言って当然のことだが、自分の母校である小学校は部外者立ち入り禁止になっていた。そして、ふと「30年前」の記憶が今あり、それを語りうる年齢になっている事実に驚愕した。30年前って…。また10年、20年後に来ることができるだろうか。そのときぼくやぼくの周りはどうなっているのだろうか。

 

……一応ゴールである小学校に辿り着いたので、また引き返すことにした。実家には両親と妻子が待っている。